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「苦しみをアートに変えろ」

「ジーザス・クライスト」(P100/ミクストメディア)
「ジーザス・クライスト」(P100/ミクストメディア)

「苦しみをアートに変えろ」

 

 

どうしようもない悲しみ。

やるところない絶望感。

許すとなど到底不可能な怒りの感情。

 

そう言ったものをアートで爆発させろ!

 

生きることに苦しみを抱いている、普通の一般人の方々に私はそう言いたい。

普通の人こそアートをしよう。

 

日常生活で溜まったそう言った鬱憤を現実世界で晴らそうとすると、さまざまな問題がやってくる。

具体的には、金と健康と信頼の喪失、と言った問題だ。

ギャンブルや風俗にハマったり、アルコールがやめられなくなったり、快感の感情で負の感情をもみ消そうとするからである。

悲しみを忘れるために、絶望感を抱かないために、怒りの高揚感を消化するために、その一瞬だけ気持ち良くなろうとする。

もちろんそれらは気分転換に適度に良いかもしれない。

だが、どっぷり依存してハマると、お金も健康も人間同士の信頼も失い、人生がアッという間に壊れてしまう。

 

それよりかはその感情をそのまま、アートにしてしまうことを私はお薦めする。

自分の芸術表現にハマったところで誰にも迷惑はかからない。

文字にしたり、絵を描いたり、歌にしたり、何かを作り出す行為に転換してしまうのである。

 

例えば、文人や、芸術家や、音楽家は要するに天才なワケであるが、実はそういう強い負の感情を人一倍持ち続けることにおいても天才なのである。

嫌な感情をとんでもなく背負ってしまうがために、彼らはそれになるしかなかったのである。

 

私について言えば天才ではないが、どういうわけだか「イエス様」になってしまった。

このために、私は世界最大の十字架を背負う運命を静かに受け入れたワケだ。

もし天才だとすれば、苦しむことにおいて天才なのだろう。

この私が現生に於いてできる仕事は、この感情を記録に残す表現活動しかないと思った。

そういうわけで、あらゆる負の感情を世界最大に感じている私は、芸術家になったのである。

 

今やそういったフラストレーションから生まれた作品は、残酷なテイストというよりは癒しの波動が出ており、展示会場やSNSやホームページで、人々の救いの道具となっている。

作品発表を通じて、それが私の社会的役割を果たしている充実感だと感じ、今は嬉しくて仕方ない。