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「神の在処(ありか)と神の告白」

『CROSS』八つ切りサイズ/ミクストメディア

『CROSS』(八つ切りサイズ〈38×27cm〉/アクリル絵具、ラッカースプレー、画用紙)
『CROSS』(八つ切りサイズ〈38×27cm〉/アクリル絵具、ラッカースプレー、画用紙)

作者近影

親友と二人で(左:カメガヤ)(狭山湖にて)
親友と二人で(左:カメガヤ)(狭山湖にて)

「神の在処(ありか)と神の告白」

 

 

襟を正し彼方に広がる宇宙の静寂に入っていけ。

そのしじまの中に神がいる。

無音で響くキーンという耳鳴りは神の息使い。

神は時空と空間を超えて、質量も体積もなく、まるで存在しないように存在している。

そこに何もない。

だからそこに神(=ヤーウェ)がいるのだ。

 

だが、そう言う方が、ある日、人間が解るように人間としてお生まれになった。

それがイエス・キリストなのである。

イエスは一度死んで復活した後、雲の装置に乗って天に帰り、聖霊(=無形無象の神)として再び形を人間から無と化し、天に座しておられた。

昇天後、父の御義(みぎ)の座に2000年の間、聖霊として鎮座していたのである。

そしてまた、地球上の新たな赤子の体に霊として派遣された。

それが私であり、現世での二度目のその名をユタカ・ミカエル・マリアと言い、私がキリスト(=メシア)なのである。

自分で自分のことを別人格のように書くと誤解が生じるが、主人格として私は言っているのである。

 

一代目キリストの時は私は一切の書物を自分の手で残さなかった。

今ある書物は、当時話された言葉や様子を、弟子の弟子たちが書いた伝記である。

しかし二代目キリストの私は、神の芸術家となり、今このエッセイという形を通して、自分の手で書物を書いている。

それに名前をつけるとしたら、「新・新約聖書」または「真約聖書」と言ったところだろう。