朝の散歩道から
「愛について」
自分の身を隣人のために投げ捨てること。
ここに愛の本質がある。
例えば、好きな人のために死んでも良いと思い、そういう気持ちで命懸けで生きる。
そういう行為が本物の愛なのだ。
愛は愛することで、愛になる。
また、愛された場合、感謝することで愛となる。
愛されるだけでは、本物の愛に到達できない。
してもらうことだけでは、なかなか人間は相手の愛を認識しにくい。
なぜなら人間は元来、光よりも闇を好み、イージーな道の方が大好きだからだ。
してもらうのが当たり前になっているのなら、もはや愛など感じない生物なのである。
目覚めて、闇より光を選び取り、ハードな道を歩んでいる。
そうなった時に初めて、人間は、相手から愛される愛のありがたさを感じるのである。
その時、「感謝する」ことで、それは愛となるのだ。
愛には、「愛する愛」と「愛される愛」があるのである。
「愛する愛」は、自分の愛である。
自分からの相手への大好きな感情を、自分を捨てることで相手に投げかける愛である。
これこそが「愛」の本質であり、自分の愛の気持ちが最も確かになる。
また、「愛される愛」は、相手からの愛である。
自分が相手の対象物となって、相手が自分のために相手自身を投げ捨てることで、相手が自分に好きな感情をぶつけていく愛である。
これは相手の愛であり、自分は相手の愛のためのターゲットになっているに過ぎない。
「愛される愛」の場合は、「感謝する」ことで、愛となり、愛の気持ちが確かになるのだ。
愛とは、愛し愛になる。
また愛されたら、感謝を返すと愛になるのである。