新作100号に挑む「愛弟子:TAmAKI」さん
途中まで描き上げました
制作風景
ESSAY
「生き方は自由、でも楽しい方が良い」
「何でも積極的に生きて、日向の大通りで、命を叫んで輝かせる人生」があります。
また、「なるべく消極的に生きて、日の当たらない影道で、命を呪い目立たぬように過ごす人生」もあります。
前者が希望なら、後者は絶望です。
この人生の生き方については、どちらかが良くて優れている、と比べられるものではありません。
どのような人生を選ぶかについては、その人の生きる価値観に因る事であり、結局は「何が好きで嫌いなのか?」で決まってしまうものだからです。
それは、生まれつき持った性格も影響するでしょうし、育った環境や、後天的に得た感覚で決まることも有るのです。
「みんな、自分がイキイキと生きてた方が素晴らしい。」
私もそう思いますし、これはこの人間世界の根本思想でしょう。
それでなきゃ、人類は善くも悪くも歴史を積み上げて、素晴らしい世界を目指して発展できませんでした。
ですが、これは、さまざまにある価値観の一つです。
実はこの世界は、生きても死んでも、全く個人の自由なのですよ。
だから、死にたいならいつ死んでも、全くOKな世界なんです。
誰もそれを咎めたりはできません。
生きながら心の死ぬ事を「絶望」と呼びますが、絶望が好きで堪らないなら、生きてる限り「心の死に放題」もできるです。
ただ、そういう時の悲惨な気持ちをリアルに知っていますか?
「本当に辛くて、今生きていることに何の得も見出せず、もう悲しいかも分からない。」
そして、「できることなら、直ぐに死んでしまって、この世から逃げ出したい!」と思い詰めていて、楽しいことなど、これっぽちさえ何にも無いのですよ!
私も過去にそういう絶望を抱えた苦しい時期がありましたから、絶望した人の気持ちが真摯に解ります。
「人生は、明るく楽しく過ごした方が良い!」という考えが、今も昔も、世の中の主流となっていますよね?
それは、絶望で心の死んだ人たちに対して、「それじゃ可哀想だ!」と愛に生きる人々がいて、「彼らの生きる人生を思想で支えたい」と願ったからなのです。
そして私からも、絶望を抱えた人々に言います。
生きてりゃ辛いこともあるさ。
でもね、生きているから楽しいんだよ。(「絶望」という楽しさも含めてね。)
【俳句】
・秋高し 空に描きや 希望の絵
・虹の梁 七色溶ける 天の道
・真っ直ぐな 人に注ぐよ 秋の音
・死者想う 万聖節に 手を握る
・伴天連が 諸聖人祭 声叫ぶ