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「平和の種として死す」

「EDEN」(F10/ ポスターカラー、ジェッソ、ラッカースプレー、墨汁、ミューズ水彩紙、木製パネル)
「EDEN」(F10/ ポスターカラー、ジェッソ、ラッカースプレー、墨汁、ミューズ水彩紙、木製パネル)

2018年 グランドニッコーホテル台場の展示

作者近影 2018

Yutaka Michael Maria KAMEGAYA(ユタカ ミカエル・マリア カメガヤ)
Yutaka Michael Maria KAMEGAYA(ユタカ ミカエル・マリア カメガヤ)

「平和の種として死す」

 

 

先日、カトリック総本山バチカンのローマ教皇様の御教勅が発表された。

それは「自分が平和の種として死にましょう。」というセリフだった。

死にましょうと言ったって、本当に肉体的に死んではいけない。

「死にましょう。」というのは、「他者に全力で尽くして自分を無にしましょう。」という意味だ。

つまり自分自身を無にして他者への捧げ物にする。

それが「死ぬ。」ということだ。

 

無に死した自分が平和の種として、この世に撒かれる。

その平和の種が成長していくにつれ、平和の花が咲き、平和の実がなる。

地球上のあらゆるところにそういう平和の種が撒かれていけば、世界は必然的に平和の楽園となっていく。

つまりこの世は天国になる。

そういう発想である。

 

もう一人のローマ教皇と言われるキリストの私は、それにもう一つ付け加えたい。

「自分をイキイキと生きろ。」と。

それは、自分の人生を命懸けで一生懸命生き切るということだ。

そのためには、今この瞬間をイキイキと生きる他ないのである。

「イキイキと生きた結果、それが他者への献身に結びつき、自分が無となり死して平和の種となりましょう。」

私が言いたいのは、そういうことである。

 

ローマ教皇フランシスコも、キリストの私も、世界が平和になるのを切に願っている。

そのためには、人類のひとりひとりが、自分の活動を通して平和への捧げ物にならなくてはいけない。

「イキイキと生きて平和の種として死す。」

それがみんなできるようになったら、世界は必然的に平和に包まれるだろう。