「幸不幸」
何事も順調にいっている時に、不幸に備えよ。
不幸な時には、不幸を形作る色々な欠乏に備えられないからである。
色々な欠乏とは、具体的には「金銭、心、健康、人の縁」に対する欠乏である。
それらが欠落するから不幸が生まれる。
だからそれらのことをいつも気にかけて、それらの何かが不足し、不幸を生み出さないように備えなくてはいけない。
しかし、「幸不幸は心の持ちようだ。」というのも、もちろん正解である。
不足している時にも、愛することに満たされていれば、それはもちろん幸せだろう。
色々なものがこちらから愛せれば、それだけで幸せと言えるからだ。
逆に不足しなくても、愛する気持ちがないのが不幸せだと言える。
ただより生活に近い幸不幸のことを言うのなら、「金銭、心、健康、人の縁」の加減と満足の様子のことだと思う。
不幸とは、実際の生活的にはそれらの欠乏のことを示すのである。
我々が不幸な時にできることは、幸せを目指すことだ。
幸せを作るとは、具体的には、先ほど述べた「金銭、心、健康、人の縁」を改善していくことである。
それは実は「愛すること」が改善していくのである。
それらの一つ一つを愛することで、状況はどんどん改善していくのである。
金銭を愛する、というのが違和感があるかもしれない。
しかし、金銭だって愛さないと新たなお金が入ってこないのである。
我々は現実にはお金に生かされていて、お金がなければ死んでしまうのを覚えておかなくてはいけない。
もし、不幸のどん底で、自分に何にもなければ、幸せを掴むにはそれが一番簡単である。
ないものは一から作れば良いからだ。
ないということは、なんのしがらみもないということであり、逆に一番作るのが簡単なのである。