YUTAKA
初めて売れた2作品「EDEN」
ESSAY
「本当の賢者が大人しいわけ」
最近は、スマホとネットの発達により、知っているだけで偉そうに驕り高ぶる人を、よく見かけるようになった。
まるで自分を神様のように思い、情報に疎い人間を「情弱」だと言って差別するような人間だ。
一体その人間は、誰かと比べて本当に人間や世の中の事を知っているのだろうか?
彼らは、何でも知っている風に話している。
だが、本当は全然知らない。
だって全てを知っているというのに、あなたの心の中さえ知らないではないか。
例えば、彼らは「世界」や「国」や「人間」について概念ををそれぞれ知っているだけのようなもので、大元の「世界」についても、「国」や「人間」についてもしっかりとした哲学も思想もなく、「世界」や「国」や「人間」の個別の悩みまではまるで何も知らないのである。
わかりやすく言えば、偉そうに情報収集の成果をあなたに聞かせておいて、隣にいるあなたの気持ちがまるで分からないんじゃあ、何にも知らないのとおんなじなのである。
だって、あなた自身が彼らとは違う「もう一つの世界」なのだから。
どんなに知識人でも、人間として「何でもわかっている。」と思うのは自惚れである。
全てを知るものほど、「自分は何にもわかっちゃいない。」と謙遜して思ってなきゃならない。
本当に全てをご存知なのは神様だけであり、自分が全てを知っているだなんてのは、浅はかな思い込みに過ぎないのだ。
例えば、彼らは、街ですれ違う人の「今抱える複雑な気持ち」を、そこで説明できますか?
どんなに知識があったって、どんなにEQ(心の完成度)が高くたって、知らない隣人の感情の機微まで説明するのは、だいたい無理でしょ。
それは、彼らが「隣人の見る世界」を何にも知らない証拠なのである。
世界には、生きている人間の数ほど、それぞれに固有の世界がある。
それを知らなくちゃいけない。
私が言いたいのは、「何でも知っている人ほど、知らないように生きていかなきゃならない。」と言う心がけである。
だって、知識とは、知れば知るほど、知らない世界がそれに応じて開けてくるからである。
本当に色々と知っている人は、その事実をよく知っている。
このために世の中の賢者は、偉ぶったり昂(たかぶ)ったり、決してしないのである。