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「他人への迷惑を考えよう」

絵画作品「CROSS」(38×27cm/アクリル絵具、ラッカースプレー、画用紙)77,000円
絵画作品「CROSS」(38×27cm/アクリル絵具、ラッカースプレー、画用紙)77,000円

絵画作品「CROSS」

(38×27cm/アクリル絵具、ラッカースプレー、画用紙)

¥77,000

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作者近影:YUTAKA
作者近影:YUTAKA

「他人への迷惑を考えよう」

 

 

私は公共のマナーが守れない人間があまり好きではない。

ほんと言うと、心底大嫌いだ。

電車の中で、声をあげて話している人たちがいると、もう本当にうるさくて堪らないと思う。

意味もなくゲラゲラ笑いあったり、プライベートな事や他人の秘密まで筒抜けに話したり、もうそこのうるささに巻き込まれるのは沢山である。

隣で聞いている身にもなってくれよ。

なんでこの世界は、周りの他人を大切にできない社会になっているのかな?

実は、昔からそう思う。

 

20年前くらい前は、若者の頃に80年代バブル全盛期を過ごした「おばさん」が電車の中では特別にうるさかった。

公共の場所でも、おばさんが二人以上集まればもう自分たちの独壇場と化し、周りの迷惑など全く気にしない。

それと言うのも、ほとんどの夫持ちのおばさんは、家で専業主婦をしていて外で働いていないため、社会のマナーや礼節がわからないからだろうと思う。

日本が儲かっていた時代だから、高級取りの夫が外で稼いで、自分は外では働かない。

だから、外での社会的規範を知らない。

そんな彼女らは今お婆さんになっても、まだ優先席で集団になってワアワアと騒いでいる。

ほんと心の底から「よしてくれよ。ごちゃごちゃうるせえんだよ!」と思う。

 

おばさんの全部がそうだと言っているわけではないが、どこにいても多くみられる光景だと思う。

 

そういうおばさんの娘が、今度はおばさんになり、また騒いでいる。

またそう言うおばさんに限って、一人になるとスマホをいじって、隣で騒いでいる子供の面倒を見ない。

 

まあ、こう言う一例を挙げてみたが、現代は他人への迷惑を全く考えない人達だらけになったなあ、とつくづく思う。

 

また、公共の場所で騒ぐ子供は「子供は騒いで良いんだ。」と、母親や社会に容認されていると勘違いしてしまっている。

それも問題だ。

自分が公共の場所で騒ぐようなおばさん達が、家で子供を教育できていると、私は正直思っていない。

甘やかされたおばさんに、未来など期待できない。

家での教育が足りない分、学校の授業で「公共」をもっとやって、子供たちの人間力を磨いて欲しい。

それと、別に「道徳」なんてしなくてもいいから、学校では、他人を思いやる気持ちを育てる教育を、もっとして欲しい。

どんなに数学ができたって、ネイティブ並みに英語ができたって、心が優しくなきゃダメです。

他人への迷惑も識らないような人間力の低い学生なんか、この先、社会の使い物にはなりませんよ。

 

公共の場での迷惑行為は昔から頻繁にあったものの、もう一方では、人への思いやりや礼節を心がける事が、日本社会の美徳でした。

今、貧しくなった日本社会にできることは、そう言う優しい心の復活です。

日本人が、周りの人の迷惑や困った気持ちもちゃんと配慮できる国民性に、また戻ってほしい。

私は痛切に、今それを感じています。