絵画作品『CROSS』
作者:YUTAKA
ESSAY
「人生の道をキリスト教と共に歩む」
人生の道といえば、色々な道があると思うが、私が思うに道は三つある。
私のような芸術家や、スポーツ選手、学者・研究者、宗教家などの「物事を極める道」。
お金の利益を生み出す「ビジネスの道」。
医師、教育者、介護職、ボランティアなどの「他者へ奉仕する道」。
これら三つである。
そして、「この世の究極の摂理」をお教えしよう。
それは、「愛して行動すれば、どんな人生の道でも神様に保障される。」とう言うことだ。
例えばあなたが、「どうせ自分の道を進むなら、自分で人生をなんとかしたい。」と、強く願っているとしよう。
そう言う場合は、キリスト教がピッタリである。
自分の人生を自分で形作っていく面白さは、あらゆる宗教の中でキリスト教をおいて他にないだろう。
なぜなら、神に祈る自分が主体の宗教だからである。
つまり、人生における「私」という主人公がはっきりしている。
そして一言でまとめると、
「人を愛していれば、神様と自分が繋がれる。」
それがキリスト教なのである。
また、キリスト信仰者(クリスチャン)は、神様と自分との契約を元に、この世の自分の富が神様によって与えられる。
その契約とは「愛の契約」であり、他者をいかに愛したかによって、この世の自分の富が広がっていくのである。
その富とは、「財産・地位・心の健康・人との縁」のことだ。
なぜ他者を愛するとそうなるかといえば、他者を愛すれば、その他者の背後にいる神様を愛する事と同じだからである。
他者を愛し神様を愛すると、この世の富が保証され、この世のうちから死後に続く天の国に入れるのである。
自分の人生を自分で形作ると言うのは、他力本願を辞め、主人公の自分を強く強く意識し、この世の物事との関わりを自分自身から働きかけて作っていくことである。
簡単に言えば、待っていないで、自分が動く、と言うことだ。
なぜなら、待っていてたら絶対に始まらないからである。
主体的な行動とは、いろいろな信条によってなされるだろうが、キリスト教的結論で言うと結局は「対象物を自ら愛すること」でなされるのである。
「愛する」が故に「行動する」。
その活動が、自分の人生の道の全てを形作るわけで、どんな道でも真に主体的に生きられるのだ。
そしてその道は、神様が全て保障してくださっていて、「財産・地位・心の健康・人との縁」といったこの世の富まで手に入るのである。
これがキリスト教と共に歩む人生の道である。