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「感受性について」

5/14「EDEN絵画教室:自由制作」

生徒:CG作家のTAmAKIさん

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新作40号制作に取り掛かります

コラージュ作品も完成!



ESSAY

「感受性について」

 

 

人間生活は、結局は、何事も感受性の結果です。

大きな決め事でも、小さな決め事でも。

大きなストレスでも、小さなストレスでも。

積極性に生きる時でも、流されて生活して堕落に沈む時でも。

全ては感じ方が現実生活を方向づけています。

 

普段から感覚を研ぎ澄ませることが、自分の生活を思った通りにします。

決め事に関しては、イエスかノーか決断できるかは自分の自信の有り様によります。

自信があれば何事もキッパリ決められるでしょうし、なければマゴマゴと躊躇するでしょう。

自信も、言ってみれば感受性の蓄積による賜物です。

自分にとって、快適なものと不快なものを日頃からハッキリ感じ取っている感受性が、結局自分の決断の際に起こる自信へと繋がっているのです。

例えば、その世界の命運を分けるような指導者の決断は、その結果が「好きか嫌いか」、それだけであるとよく言われます。

つまり、決断も、感じる力=感受性によるのです。

 

ストレスも感受性に任されています。

ストレスとは、ある事象に対して自分の感受性が働きかけ、不快と感じた時の現象です。

自分の心地よいものに対してはストレスは感じませんが、人間は誰でも不快なものばかりに囲まれて生活しています。

だから皆、自分の心地よいものとして、「癒し」を求めるのです。

そのストレスに対して、忍耐するか、逃げるか、と言った問題がありますが、忍耐を選ぶ場合もそれは感受性なのです。

忍耐力は、「ある目的のためには、苦しくても我慢できることを心地よい」と思える、高次元の感覚の感受性を持ち合わせている場合に発揮できます。

それがない人は、ストレスから「逃げる」しかないでしょう。

「逃げる」のも感受性ですし、それは、さっぱり諦める感覚に頼る結果です。

 

感受性を研ぎ澄ませていれば、いつしか人間は高次元の感覚に辿り着きます。

その一つが「積極性」です。

例えば宗教におきましては、それが、キリストやブッダも辿った道です。

彼らは積極性の塊でした。

堕落の闇に沈むことなどほぼ無かったでしょうし、流されて生活する自堕落であったのなら、思想で世界に名を残す偉業など残せなかったでしょう。

感受性の塊であったからこそ、そこからさまざまな神の啓示に積極的に辿り着き、その世界でアクションを繰り返し、神や仏の教えを広めたのです。

また二人に共通する高次元の感覚は、「忍耐力」です。

忍耐力の果てに、ブッダは菩提樹の下で断食を行い、ミイラのようになってしまいましたし、キリストに至っては十字架刑を受けて死刑となり、世界に命まで捧げてしまいました。

まあ、一般人がそうなっては困りますが、彼らは彼らの野望を身を捧げて遂げたのです。

 

私は芸術家ですが、感受性はお金より大事です。

簡単にいえば、感じるから作れるんです。

感受性という土台があって、感じたものを表に表現することが、芸術家は本命で最大の仕事でなのです。

正直な話、それが無ければ、お金も作れませんからね。

 

感受性について、ここまで述べて来ましたが、やはり感じる力が「自分をより良くします」。

だから、自分の理想や夢がある人は、まず、「感受性」に対していつも敏感でいましょう。

 

 

【俳句】

・感覚は 酸っぱいレモン 研ぎ澄ませ

・夏の夕 感じるゆえに 人であり

・スイカ割る 棒彷徨える 感受性

・向日葵や 忍耐しては 咲き誇る

・基督も 仏陀も願う 暑気払い