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「私の信仰物語⑥(教会のイジメ)」

2021年カトリックカレンダー表紙絵に作品採用

YUTAKA写真作品「十字架チュリープの庭」

2021年カトリックカレンダー表紙絵に採用された私の写真作品
2021年カトリックカレンダー表紙絵に採用された私の写真作品
『十字架チューリップの庭』
『十字架チューリップの庭』

ESSAY

「私の信仰物語⑥(教会のイジメ)」

 

 

教会の中のイジメは、なかなか無くなりません。

教会に行ってイジメられるんじゃ、正直行かないほうが良いですね。

所属教会に通って15年経ちベテラン信徒になった私は、今はっきりそれが言えます。

だって、救われたくて通ってるのに、傷ついて帰ってくるんじゃアベコベですよ。

 

私は所属教会で、洗礼を受けて入信してから、信仰深い年配信徒達から、今までどういう扱いを受けてきたと思いますか?

「イエス様」だと尊敬されて、神様のように崇められてきたと思いますか?

いえ、実は全く逆に、多くの人にけなされてきました。

私はつまらない先輩信徒達に、いわれのないイジメをたくさん受けてきました。

だからもう、本当は心がボロボロに傷ついて、今までいつも通うのが闘いでしたし、苦しみは限界の極みでした。

でも私は負けず嫌いなので、勇気を出して根気よく通い続けましたし、そのことが今現在の私を救ったようなものです。

私自身が私を救い、それを神様がいつも支えていたのでしょうね。

もし現在、どこかの教会でイジメられている方がいましても、メンタルがボロボロになるので、無理して通うことは余りお勧めできません。

心が救われたくて、最後の砦に愛の宗教「キリスト教」を選んだのに、イジメられて失敗した人間はどこに行けば良いのですか?

言い換えれば、愛にも失敗してしまった人間はどこへ行けば良いのでしょう?

もう行くとこないから、死ぬしかないじゃないですか。。。

負けず嫌いの私だから自分で自分を殺めることもなく、続けられたのだと思います。

 

私の忘れられない悲しい思い出の一つを話したいと思います。

私はその思い出のせいで、実は今でも教会に行くのが本当は怖いのです。

例えば、入信して間もない復活祭の日に、ミサ後、こちらから「ご復活おめでとうございます!」と言って、ある先輩女性信者と握手をした時のことです。

彼女からは、「おめでとう。」と、とりあえず私へ返答された次の瞬間に。。。

握手しながら「あなた!顔が白いわよ!家にばっかいないで外に出なさい!」と、まるで引きこもり人間を扱うかのように、理由もなく頭ごなしにバカにされたのです。

一瞬「えっ!!???」と、思いました。

「復活祭と関係ないじゃん、それ!」と内心、言われた言葉にビックリしました。

私は生まれつき肌が白く、日に焼けても黒くならないだけで、引きこもりではありません。

むしろ、その頃から毎日外を出歩いていましたし、遠い横浜のアトリエまで毎週通うポジティブマインドの人間でした。

なのにですよ。

教会の先輩と言われる方の一人に、復活祭にそんな扱いを受けて、大変ショックでした。

大体、普段、私が家にいようが外にいようが、復活祭とは関係ないじゃないですか!!!

一年で一番おめでたい日になんてヒドイ事を言うんだ、と本当に心底悲しく思いました。

 

私は入信後まもなく、教会の暦で一番おめでたい復活祭のミサの後、そのような失礼な目に遭ったんですよ。

家に帰ってから浄土宗仏教徒の両親に、その事で「心が深く傷ついた。」と話をしたら、「もうそんなくだらないキリスト教会には行くな!」と逆に怒られましたし、「いつでも仏教に帰ってきて良い。」と仏教への再帰依も勧められました。

 

 

神様に心が救われるために教会に通っているのに、人間の都合で内部でイジメられるとは、なんたるアベコベなことでしょうか。。。?

そんなこと、神様が決して許すはずないじゃないですか!?

なのに、今まではそれがまかり通っていました。

 

教会に通う人は、みんな心が救われたいのです。

なのに、新しくて立場の弱い信徒をイジメる人ばかりを、神様が救っている。

そんな現実に、ハッキリ言って、私は当時から嫌気がさしていました。

私はいつもイジメられて悲しかったし、ある時期は教会が心の底から怖くなり、3年ほど通えない状態も続きました。

そのように実は、私は世間様には「イエス様」ともてはやされているのにも関わらず、「隠れキリシタン」のように信仰生活を送ってきたのです。

ですが、逆に、その悲しい事態のために神様が私の魂を、誰よりも高くお上げになさったのだと、今は感謝しております。

 

誰だってイジメられるのは嫌です。

私だってもちろん嫌だし、まさか大人になってからイジメが始まると思っていませんでした。

でも、今思えば「悲しみもありがとう。」と、イジメた人は許しませんが、厳しい試練を与えてくれた神様を感謝して想います。

30歳で洗礼を受けた後の私の人生は、そんな不屈の信仰生活だったと思います。

 

 

【俳句】

・耶蘇教や 迫害の夏 こんにちは

・悪に咲く 基督信徒 夏に斬る

・十字架に 命捧げた 夏の陣

・愛に生き イジメられたる 耶蘇の夏

・命捨て 生きし世の夏 救われる