YUTAKA:女性ヌードデッサン作品
「EDEN絵画教室」より
ESSAY
「争いだらけの私の元家族」
私の人生はいつも、誰かにイジメられてきました。
それは、私が温厚だからだと思いますし、つけ入ろうとする輩にナメられるのが原因だったと思います。
でも強くなった今、私をいじめる奴がいたら、真っ向から戦います。
そして、もう負けません。
私は、最愛の妻も娶り(めとり)、彼女を守るためにも、もう負けてるわけにはいかなくなったのです。
正直、第一の敵が、昔の家族(=両親と妹)です。
私は43歳で妻と結婚し、世帯は別となりましたが社会的な理由で、両親と同居しています。
妹は、もうとうの昔に結婚して家を出て行きました。
実は、長男の私はいまだに苦しい目ばかりに、同じ家で暮らす両親から遭わされています。
家庭内のイジメです。
例えば昨日だって、辛いことがありましたもの。
日曜ですが外せないPC仕事があり、教会ミサも休んで一日中リモート勤務で朝から私室で働いていました。
ですが仕事の終わる頃の夕飯時に、なんと、私だけ夕飯に呼ばれないで、夕飯はいつか母に尋ねたら、妻も含め家族の食事が終わっていたのです。
妻は母親に、「できたから食べなさい。」と言われて、嫁なので言うこと聞かないといけないので、私がいないのに食べたそうです。
母に「なんで僕を呼ばなかったのか?」と聞けば、「寝てるかと思った。」と言われました。
「おいてめえ!朝から家ん中で働いてる姿見てて、そんなはずねえだろう!!!」と、私は普段の語気を変えてカンカンに怒りました。
そのように愛のない仲間外れをされて心が本当に傷つき、悲しみが高ぶって、結局は私は昨日夕飯を食べられませんでした。。。
妻は、後から私の部屋に来て謝りましたが「寝てると思って呼ばなかったんだって。」と母に言われたことをそのまま私に伝えました。
私は正直、この元家族に関しては、生まれてくる家を間違えた、と思っています。
今まで語るのを控えておりましたが、両親は私が20代後半になった時には社会的廃人にしようとしましたし、言うには不謹慎で忍びませんが、私の30代が始まった頃に私の命を殺めようとしたこともありました。
まあ、具体的に言うと、難しい問題が生ずるので語りません。
妹に関しては、今年の正月に妹家族が来て、このエッセイにその件を以前執筆しましたが、妹の横暴な性格のために昔から全然仲が良くないです。
同じ家族だった頃のことを思い出すと、妹には様々な愛から離れた悪いことをされてきました。
幼少時から、私が家に居ない時に私の部屋に入って色々なものを泥棒されましたし、パソコンも勝手に使って壊され、暴力も多々されました。
一見、私の元家族は、外から見ると優しい家族だと思われていますが、家に入ると、無関心で自分のことにしか興味がなく、いつでも家庭内で誰かと言い争いをしていました。
もう私が子供の頃から、そう言う喧嘩だらけの暮らしでした。
未成年の頃から、父が私を気に入らないと言うだけで、拳を挙げて怒鳴られたり、時には頭をぶん殴られて、「出て行け!!!」と何度も家を追い出されそうになりました。
壊れた家を15年前に父がローンで建て直しましたが、父は憤るたびに「元々はこの家は、俺ら二人(父·母)だけで住む予定で建てた。」と怒鳴り、「じゃあ、僕のことは考えていなかったんだ?」と聞けば、「お前のことは考えていなかった。当たり前だろう!」と言って、何度も家を追い出そうとしました。
正直、我が家は二階建てで5LDKあり、そんなはずはありません。
私は今まで社会的に家を出るに出られない理由がありましたし、出たところで野垂れ死にする境遇なのを父は分かっていて、そう言い続けてきたのです。
もし家を出ていたら、私は若くしてコジキになるしかなかったでしょう。
私は、今までとんでも無く辛かったですし、この家族と住むことに生命の安心感を覚えたことが一度もありませんでした。
そして、今でもまだ辛いです。
私は愛する妻だけを味方に、今も同居する両親と戦って生きています。
正直いえば、これまでにまともな人生を歩めなかったために、妻を伴侶に生き直しているところです。
両親が今までのように、私をイジメようとしたら、最近私は言葉の鞭を振り回して戦っています。
そして、もう負けていません。
【俳句】
·救い主 愛なき梅雨 愛求め
·愛無くて 夏の今宵に 愛を知る
·責めれども 知らぬ存ぜぬ 夏暖簾
·梅雨晴れに 数多の矢傷 癒されて
·憎しみは 孤立はじまる 梅雨の入り